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2024年6月17日

遠藤敬止氏と鶴ヶ城と渋沢栄一氏

福島県会津若松市の鶴ケ城を後世に残すために尽力した旧会津藩士・『遠藤敬止(けいし)翁』の120年忌法要は6月15日(土)、宮城県仙台市の充国寺で営まれた。

遠藤氏は、嘉永4年(1851年)に会津藩士・遠藤清直の長男として江戸で誕生し、戊辰戦争、鳥羽・伏見の戦いの際には会津軍として鶴ヶ城の籠城戦に加わり、賊軍として江戸にて謹慎生活を送ることになります。

その後、独学で英学を修め、慶應義塾に入って経済学を学び、大蔵省に銀行事務講習所が創設されると、講師として出仕することになります。

その才覚を渋沢栄一氏に見出されて第一国立銀行勤務後、第七十七国立銀行頭取となり、仙台商業会議所会頭ほか、会津銀行設立や学校の創立など多くの事業支援に業績を残します。

そして戊辰戦争の時に籠城戦の舞台となり、解体が決まっていた鶴ヶ城が明治23年(1890年)に払下げが決定すると、募金を集めて私財を投げ打って2,500円(現在の物価換算では1,000万~1,500万円。公務員給与換算では5,000万円)で鶴ヶ城は払下げを受け、それを旧藩主松平家に寄贈した会津にとって恩人であり「遠藤敬止翁」と呼びその功績をしのんで毎年命日に「遠藤敬止顕彰会」の主催で法要が行われている人物です。

つまり、現在の鶴ヶ城が在るのも遠藤翁のおかげなのです。

今年は没後120年の節目にちなみ、仙台市にある菩提寺の「充国寺」で開催られたようです。

法要は「遠藤敬止顕彰会」の会員ら約40人が参列し、新城猪之吉会長が式辞を述べるとともに、

  • 松平保久(もりひさ)氏=会津松平家14代当主
  • 小林寛氏= 七十七銀行常務、
  • 藤崎三郎助氏= 仙台商工会議所会頭
  • 室井照平氏= 会津若松市長
  • 渋川恵男氏= 会津若松商工会議所会頭

遠藤氏が創立などに携わった上記の組織・企業の代表の方々が追悼の言葉を寄せたようです。

こんなところに、現在の紙幣の顔の「福沢諭吉氏」と来月から新札の顔となる「渋沢栄一氏」交流があり、その影響を受けた人物がいたことに驚かされます。

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コメント

鶴ヶ城にはそんな歴史があったのですねぇ。
戊辰戦争で当時はボロボロになっていたとはいえ、
往時の美しさを取り戻して(あ、これは彼がやったことなのですかな?)、今に燦然と輝く鶴ヶ城。
感謝です。

投稿: へこきあねさ | 2024年6月17日 22:00

>へこきあねさんへ

これ大きな誤解があるのですが、鶴ヶ城は戊辰戦争(会津戦争)では猛攻に遭うもその美しい姿はほとんど保たれた頑強なお城です。

後に荒廃した写真が外国人によって撮られましたが、あれは会津の寒い冬などの風雪や雨によって壊れた姿です。

投稿: 玉ヰひろた | 2024年6月18日 07:58

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