我が地域にも「〇△▢時間」があった
先週の月曜日、6月10日は「時の記念日」でした。
これは、天智天皇10年(671年)4月25日同天皇が漏刻と鐘鼓によって初めて時を知らせたという『日本書紀』の記事にもとづき、その日を太陽暦に換算して定められた日で、各種の記念日のなかでも「時の記念日」は最初期に定められたものということができる記念日です。
大正中期、日本の近代化には時間厳守、時間割による行動規律、時間を節約することによる効率性の向上が基本として位置づけられ、大正9年(1920)1月、伊藤博邦(博文の養子)を会長とし、渋沢栄一らはじめ政官界の有力なメンバーを役員として定められ、第1回時の記念日は大正9年(1920)に国を挙げて大々的に記念講話や展示会などの催しが行われて始まったそうです。
その時の地元紙「福島民報」の記事が、昨日の朝刊に記載されましたがその内容が面白く懐かしかったのです
その大正9年の記事を要約すると
「日本国民は時間を守ることを大切だと考えず、「〇△▢時間」と称し、ひどいのは2時間も3時間も遅れても平然としていた。
さらに、何度も催促されてから出だすのが当たり前と考える者まで居た。
これでは、大事な時間の損失であり、国としても大きな損失となるのでこの記念日を機に変えなければならない」
私の地域にも30~40年以上も前までは「〇△▢(地域)時間」というのがあり、集合時間に平然と遅れてくる人が居て、そしてそれが当たり前として誰も文句を言うこともありませんでした。(とんでもなく早い時間の人もあった)
江戸末期から明治・大正、来日した外国人からは、休憩ばかり多く時間を守らない日本人に対し「日本人は世界一の怠け者」と称された時代でもありました。
その時代の日本の名残が「〇△▢時間」として、私の地域にもあったのを思い出しました。(今もかな?)
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コメント
ありましたね。
とくに大物に多かったですね。
遅れてくる人をいつまでも待つのはいかがなものか?
で、いつの間にか悪習が消えたんですね。良かったです。、
投稿: もうぞう | 2024年6月21日 19:22
>もうぞうさんへ
遅れていくなど、わたしにはまねできないことです(笑)
投稿: 玉ヰひろた | 2024年6月21日 20:25