8月23日は「白虎隊自刃の日」
慶応4年(明治元年)の8月23日(1868年10月8日)この日、戊辰戦争(会津戦争)で会津藩の白虎隊の中でも身分の高かった士中二番隊の19名が城下の飯盛山で自刃した日です。
会津藩では自軍を年齢により、若い方から白虎隊・朱雀隊・青龍隊・そして高齢者だけの玄武隊の4つの部隊に編成られていました。
最年少の白虎隊は数え15歳(※14歳)~17歳(満年齢13~16歳)までの300人~400人の少年で編成された部隊で、主力部隊である朱雀隊や青龍隊の3分の1ほどの少人数部隊であり玄武隊と同じく城の護衛が本来だったとされています。
ところが士中二番隊が城外の見回りに出たときに敵(西軍)と出会い交戦となり、さらに退却中に隊長とはぐれたことでこの悲劇が起こりました。
最近の研究で、
「飯盛山にいた白虎隊の士中二番隊員が、城下の町に火の手が上がったのを会津の城が落城したものと誤解し全員が自刃決行した」
ということに「有能な若者ばかりだったのに、誤解するはずがない。別の理由だったのではないか?」疑問を呈する研究家が現れ、その実態が再吟味されつつあります。
ただ、旧暦のこの日若い命を自らの手で消したことは事実であり、戦争の悲惨さを伝える事実であることは間違いないことです。
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コメント
子供のころ、母と一緒に白虎隊の映画を観たことがあります。たしか市川雷蔵主演だったか。
よくはわからなかったけど、すごく一所懸命に生きた人たちだ、という印象があったように思います。
火の手が上がったのを見て、落城と思い自刃したというのが一般的ですが、他の理由を研究するのもぜひ続けてほしいと思います。
新たな事実が出てくることを期待します。
投稿: へこきあねさ | 2024年8月23日 19:44
>へこきあねさんへ
場所的にも城が燃えていないことが確認できるところといのが研究者の考えです
投稿: 玉ヰひろた | 2024年8月23日 20:08