トラホーム
今週から再放送が始まったNHK朝のテレビ小説「チョッちゃん」、語りは福島県郡山市出身の故西田敏行さんでヒロイン池山蝶子役は古村比呂さん、、その北海道で開業医をしている父親にはこれまた福島県会津出身の故佐藤慶さんです。
佐藤慶さんは山形出身と設定ですが、どう聞いても福島弁で話しているとしか思えません。
さてそのドラマの今朝のシーンは、佐藤慶さんが扮する医師が往診する場面でしたが、そのときに家の中を温めようと囲炉裏に火に薪をくべる家の息子に、立ち上る囲炉裏の煙を見ながらこういうのです。
「時々戸をあげで、喚起しろ。トラホームになっちまがらな」
「トラホーム」、わたしはこれに小学生のときに罹患して治療していた病名で懐かしさと嫌な治療も思い出しましたが、現在は知らない人の方が多いのでしょうね。
「トラホーム」は「クラミジア・トラコマチス」による眼感染症で、当時、日本国中に蔓延し失明者が多く、撲滅のために日本人の国民病として「トラホーム予防法」が大正8年(1933)に公布されるにいたります。
しかし原因療法がなく、収斂薬の点眼処置での対症治療だけで、法律上の届出伝染病として管理されましたが「治癒」がないのに、眼科外来でも患者数の多い病気であったそうです。
そして年月が過ぎ、第二次世界大戦が終結したころ尼崎市に発疹チフスが発生、その治療薬としてアメリカの進駐軍から「オーレオマイシン」が提供されチフスの流行が止められました。
その際に偶然なのでしょうが、チフス治療薬の「オーレオマイシン」を服用した患者の「トラホーム」も完治するという結果が出ます。
その後臨床実験の結果、オーレオマイシンがトラホーム治療に効果が認められという当時では世界初の発見となり、正式にトラホームの治療薬として認可されることになります。
これによって昭和58年(1983)に「トラホーム予防法」が削除され、病名も消え現在に至るようです。
さて、わたしは「トラホーム」と言っていましたが、「トラコーマ」とも言われていて、本来は後者の名前が正式なものだと言っていた記憶があります。
調べて見ましたら、「トラホーム」はドイツ語の「Trachom」で、「トラコーマ」はラテン語の「Trachoma」なのだそうです。
ただ日本では医学=ドイツ語というのが常識だったので、ドイツ語の「トラホーム」が採用され汎く用いられ一般にも普及したようです。
昭和5年(1930)にこの二通りの言い方は日本眼科学会によって「トラコーマ」に統一することが決定され、これによって「トラホーム」の呼称は廃止され世界的術語である「トラコーマ」に改められたのだそうです。
しかし、「トラホーム」の名のほうが多くの国民や医師の間でもなじんでいたため使い続けられたようです。
全国的に月日の経過につれ眼科からトラホームの患者がなくなったそうですが本当に無くなったのでしょうかね?
戦争で済むところを追われた世界各国の難民キャンプの環境の悪化を目にするたびにそういう疑問が頭に浮かびます。
ちなみに、今から比べれば不衛生だった暮らしをしていた我が家、わたしは「トラホーム」に「ものもらい(麦粒腫)」、「腸内寄生虫」、「たむし」等々に罹患していたのですが、そんなことを話したら現在の若者には嫌な顔をされるでしょうね(;^_^A
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コメント
トラホーム、たしかに懐かしいネーミングです。
小さいころ、私の目やにがひどかったので、祖母はまるで猫の母親のように私の目をなめてくれていたのをおぼえています。昔はそんなことで消毒をしていたのでしょうか。
野球、埼玉と聖光学園が戦っています。玉ヰさんもじっと見ているとは思いますが、聖光学園頑張ってほしいです。
投稿: へこきあねさ | 2025年3月26日 (水曜日) 16:48
>へこきあねささんへ
>小さいころ、私の目やにがひどかったので、祖母はまるで猫の母親のように私の目をなめてくれていた
そういうのをやっていましたね>
聖光学院、ぼろ負けしてしまいました
投稿: 玉ヰひろた | 2025年3月26日 (水曜日) 20:12