鍾馗様の由来は
フォトは我が家の鍾馗様の人形です。鍾馗様は魔除け・疫病除けとして知られ端午の節句に縁起物とされ幟などにもなっていますがその由来には諸説あります。
その中でもかなり有力な説を二つ見つけました。
まず、この二つの説には共通することが4つ在ります。
- 鍾馗は中国の唐の時代に実在した人物であること
- この人物はかなりの秀才であったこと
- 国の科拳(現在の国家試験)を受けたが不合格になったこと
- 不合格になったことが要因で自殺したこと
上記の共通部分を踏まえたうえで、4番目のところの不合格理由から違いが出てきます。
<説その1>
唐の9代皇帝「玄宗」の夢に登場した説
- 唐の第9代皇帝「玄宗」が高熱で床に臥せる中、夢の中に小鬼が現れ玄宗の玉笛や楊貴妃のにおい袋を盗もうとすると、巨大な鬼が登場して小鬼を喰べてしまう。
- 驚く玄宗に巨大な鬼は「わが名は鍾馗」と名乗り、「我は科挙(国家試験)を受験したが落ちた恥ずかしさから自殺した者にも拘わらず、皇帝が手厚く私を葬ってくださったので、妖怪どもを退治して恩に報いようとした」と語る
- 目が覚めた玄宗は病が治っていたので、夢の中で見た鍾馗の姿を唐代の有名な画家・呉道玄に描かせ、
鍾馗の絵を飾り魔除けするよう民間に広めた。
というもので、よく知られている説だと思います。
<説その2>
唐の12代皇帝「徳宗」の時代の文化人説
- ある日、鍾馗は知人たちに見送られ、科挙(中国歴史上の官僚登用試験)を受けに唐代の首都「長安」まで出向かう
- 聡明な鍾馗は容易く試験を突破し、試験官の韓愈(唐代の文人)も「李白、杜甫など唐朝の著名詩人に次ぐ逸材だ」と彼の才能を認め、
鍾馗が今回の試験の「状元」(第一位の成績)だと決める。 - 皇帝の徳宗も鍾馗の才能に関心を抱き、直接会うことになったのだが、
鍾馗のあまりの怖い顔に驚き、「顔が怖くて醜い、文人の優雅な風貌とは程遠い」として、
試験管の韓愈は顔で判断することに反対するも、皇帝は不合格にしてしまう。 - 顔が理由で不合格・不採用になったことを聞いた鍾馗は激怒し、怒りのあまり宮廷内で自殺する。
- 亡くなった後、冥府で閻魔大王に会った鍾馗は自分の無念を告げ、近くの悪霊や鬼を追いかけ回したり、
殴り続けるなどの大暴れをする鍾馗のその怒りの形相に閻魔大王までも驚く。 - その噂を聞きつけた玉皇大帝(道教の最高神)が、鍾馗の気迫が悪霊や鬼を怖がらせていることや、鍾馗の境遇に同情して悪霊退治の神様「驅魔真君(駆魔真君)」に任命する。
この伝説が信じられ広まったというものです。
どちらも面白い由来の説ですが、2番目のは台湾でよく語られている話のようですが・・
どことなく理不尽な罪に問われ怒りあまり災いの神「天神(雷神・風神)」にされた菅原道真の話を訪仏させる気がしました。
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コメント
こんばんは。
・「文章」を読んで。
これは、初めて聞きました。
投稿: H.K | 2025年5月10日 (土曜日) 19:10
>H.Kさんへ
コメントありがとうございます。
投稿: 玉ヰひろた | 2025年5月11日 (日曜日) 14:13