現状を告げた
きょうの面会時の母は、目が覚めた状態で活発に意思表示をしました。
「家に行きたい。家に行きたい・・・・」
を何度も繰り返し、さらに
「何も(体は)悪くない」
と、筆談で訴えたのです。
そこで、思い切って現在の状態の一つである人工呼吸器を外すことが難しいことを筆談で伝えました。
母は戸惑った様子を見せましたが、どう思ったかは不明です。
まずかったのか?とも思ったのですが、知っておいた方が良いと判断しました。
きょうの面会時の母は、目が覚めた状態で活発に意思表示をしました。
「家に行きたい。家に行きたい・・・・」
を何度も繰り返し、さらに
「何も(体は)悪くない」
と、筆談で訴えたのです。
そこで、思い切って現在の状態の一つである人工呼吸器を外すことが難しいことを筆談で伝えました。
母は戸惑った様子を見せましたが、どう思ったかは不明です。
まずかったのか?とも思ったのですが、知っておいた方が良いと判断しました。
日陰で39℃に達したきょう、日向での畑での作業は1時間でもかなり厳しかったわたしです。
雨が欲しい
そんな中でも、母は25~6℃の病室で横たわっていました。
どっちがいいのか、わからない暑さでした
現在の病院は救急病院で、原則として長期入院は受け入れないことになっています。
そこで転院か在宅介護の二者択一が迫られましたが、人口呼吸器の患者受け入れのできるところは少なく、ほとんどの病院のベットに空きが無いのが福島県の現実です。
入院期間の終了が迫る中ほぼ強要されるように在宅介護が計画され、介護指導やら自宅の改造などを手掛けてきました。
ところが思いがけなく転院先が見つかり、在宅介護の計画は変更されました。
母にすればなんとしても帰宅したいはず、その気持ちがわかるだけにつらい選択なのですが・・・在宅での介護はかなり難し状態であることは看護師の皆さんも思っていたらしく転院はやむを得ないことでした。
母へ「ごめん<(_ _)>」と心の中で何度も謝りました。
昨日も記しましたが、ソーシャルワーカーから改めて具体的な今後のことが今日になって説明されました。
全て申請手続きが後手後手に回り、その結果として助成制度が使えない状態になっています。
そして、ついてくるのが費用です。
母には申し訳ないが、いろいろな制度の利用申請のことなどに頭がいきっぱなしで母の病状をなおざりにしてしまいそうです。
きょうもいつものように病院へ行ったら、病棟の管理の看護師から「転院が決まりました」と聞かされて唖然としました。
ソーシャルワーカーに委託してはいましたが、決まる前に何らかの確認が在るのかと思ったら全く無く、いきなり看護師から言われるとは思いませんでした。
さらに、すでに1ヵ月半んも前にストーマ手術が行われ、その際に「障害者申請」が可能だったこと、これから申請すると2か月間も遅れることなどを、ストーマの業者から聞かされさらに愕然としました。
病院の体制、病院のソーシャルワーカーとは、こんな対応しかしてくれないのかと腹が立つやら、自分の知識の無さに憂えを感じてしまいました。
母の在宅介護に向け指導を受ける毎日ですが、同じことでも看護師によって違うので混乱することが少なくないのが悩みです。
いち早く帰りたい母の気持ちを思えば在宅介護は急がれますが、介護する身になれば思いは複雑です。
つかれたなぁ
食事が困難な母は、鼻から胃にチューブを挿管し栄養を送りこむ「鼻腔・経管栄養」というのを行っています。
在宅介護になった場合に備え、それの交換の仕方の指導を受けていますが、その他にもストーマや人工呼吸器の使い方などこまごまとしたことが沢山有り、私は一通りできるようになりましたが妻は覚えられなくて落ち込んでいます。
このままでは、畑の仕事もあるし私たちのほうがまいってしまう確率が高くなるばかりです。
いったいどうなってしまうのでしょう・・・
わが村では、27日投開票の日程で村長選挙と村議補欠選挙が明日の22日に告示されます。
村長選は前々回とお暗示顔ぶれで現職と新人の一騎打ちになります。
補欠選挙は、現職議員の方の急逝によるものですが、誰が出るのかは不明です。(22日無投票となった)
今回も期日前投票しようか・・・気が載りません
母のことを思いながら、フッとこの歌が頭に浮かびました
🎵 通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下(くだ)しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに 参ります
行きはヨイヨイ 帰りは強(こわ)い
強(こわ)いながらも
通りゃんせ 通りゃんせ 🎵
私が幼いころ母が二本松市の「子守り地蔵尊」に私の健康を願い、木彫りの地蔵様を抱えながら約10キロの道のりを歩いて帰宅した話を思い出したのです。
そんな距離をなぜ歩いたのか?
行くときはバスで行ったのですが、乗り物酔いが激しい母はそのあまりのつらさに「帰りはバスに乗るより歩いた方がいい」となったのです。
今はその母の為にもっと遠い距離を走行する私です
人工呼吸器で声を出して話すことができない母、許された面会時間は15分、その時間が来て「また明日来るから」と告げて離れようとすると、私の手を強くにぎり「だめだ。いやだ」と泣き顔で首を振る母なのです。
気持ちが痛いほどわかるのにどうしようもない私と妻は、ただ困惑するしかありません。
それでも無理やり握った手を離し帰宅する車中の重苦しさは何とも言い難いです
母が入院してから、なぜか私の夢に頻繁に亡き父が出てくるようになりました。
不思議だなと思っていたら、昨日に父と伯父の古い表彰状の移動をしながら掃除をしていたら、症状の陰から伯父の写真が出てきたのです。
この伯父の写真は無いものと思っていた私には、思いがけないことで驚いてしまいました。
またこれから思いがけないことが続くのでしょうか。
母が突然の入院、妻の実家では義兄が入院、それが重なって妻も大変な状態です。
そしたら今度は、妹の義母(夫の母)が突然入院する事態になりました。
どんな年なのでしょうか
これから何が起こるのでしょうか
いつもの面会の時間に頭痛がするようになりました。
されど熱も無く、咳もありません。
やはり寝不足と心疲労からくる変調かもしれません。
どうなるのでしょうか?
きょう、介護認定の査定の係りの方がおいでになり母の様子を見ていきました
「国破れて山河在り・・」は有名な句です。
さしずめ、母のは「内臓破れて山河あり」でしょうか。
きょうの夕方は夏の始まりの風物詩であるヒグラシの鳴き声が響き渡りました。
山河の営みは普通なのに・・・と、自分の状況とのギャップにため息ばかりです
毎回の面会の為のルート、最初はどこが近いか?どこが走りやすいか?などを考え何度か変えていました。
そしてそのルートは自然に決まっていき、いまでは往復のルートは完全に固定しナビも要らなくなりました。
ルートが定まり、片道約40分の走行時間の道のりの景色も見慣れてきました。
いつまで、この往復はいつまで続くのか、いつ終わるのか、どっちにしても心は暗雲曇天の梅雨空が続きます
心がけているのは「走行中は余計なことを考えず安全運転」です
この年になって学習が始まるとは思わなかった。
在宅介護のやり方を学び始めることになってしまった。
これも選んだことであり、良くなっている表れなのだが・・・
母の急変で先月からこころが折れそうなときに、さらに課題が科せられた気がした
人工呼吸器が喉に装着され、声を出して話せない母
一昨日は、必死に口を動かし「た、す、け、て」を繰り返したが
きょうはちらっと眼を開け俺と気づくと、俺の手を引き寄せると大事そうに管がつながった両手でわが胸に抱いて目をつむった
その様子を見ているうち、涙で母の顔が見えにくくなった
状況がわかり始めたのだろうか?
何かを悟り始めたのだろうか・・・
世は20日投開票の参議院選挙に向け、各党と候補者の運動が活発化しています。
わたしの村ではそれどころじゃなく、27日に投開票が行われる村長選挙と村議員補欠選挙の候補者の運動のほうが最優先で進んでいます。
そして我が家ではどちらもそれどころじゃなく、病院通いの毎日です
きょうも面会のため車を走らせていたら・・・運転免許証と財布まで忘れたことに気が付き、病院を目前にして引き返しました。
片道約35分ほどかかる道のりを2往復する羽目になった今日でした。
自分で思うより体に疲労がたまっているようです。
気をつけねばならないと、改めて肝に銘じさせられる日となりました
先月の8日日曜日の母の腹痛の朝から、我が家の生活は一変してしまいました。
9日には、近親者へ連絡し母の死を覚悟させられました。
奇跡的に助かり月が替わり7月になり、まだHCUの治療での人工呼吸のままですが呼びかけにも応じられています。
私ができるのは面会(15分)だけですが、毎日出かけています。
我が家の畑では(母が植えた)作物がそだち、それの収穫や草刈りなども並行しながらの病院通いもだいぶ慣れてきました。
ただ、疲れていないわけはなく「もってくれ俺の体」の思いと、風邪をひかないことだけを心掛ける日々が続きます。
今、私の心に重くのしかかっているのは「在宅介護」の4文字だけです。
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