カテゴリー「歴史」の137件の記事

2023年1月18日

118番の日と振袖火事の日

今日は1月18日で海上保安庁が決めた「118番の日」、そして明日は1月19日で消防庁が決めた「119番の日」、陸と海の緊急連絡番号の記念の日が続きます。

歴史に残る火災といえば、今から360年以上も前の明暦3年(1657)に発生し多くの死傷者を出した江戸の大火災があります。

振袖火事ともいわれるその大火災が発生したのも1月18日、それに由来しきょうは「振袖火事の日」という記念日でもあります。

1657(明暦3)年のこの日、江戸城天守閣と市街のほとんどを焼失し、死者が10万人にもおよんだ明暦の大火が起きた。

「振袖火事」とは、

 上野の神商大増屋十右衛門の娘おきくは、花見の時に見初めた美しい寺小姓を思い、小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖をこしらえてもらい毎日寺小姓を想い続けたが、恋の病に臥せったまま明暦元年1月16日、16歳で亡くなってしまった。

寺では法事が済むと、しきたり通り振袖を古着屋へ売り払う、その振袖を本郷元町の麹屋吉兵衛の娘お花のに渡るが、それ以来お花は病気になり明暦2年の同じ日に死亡した。

その後に振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋伊勢屋五兵衛の娘おたつのもとに渡ったが、おたつも同じように明暦3年の1月16日に亡くなってしまうという不可思議な死が続く。

おたつの葬儀に、十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦もたまたま来ており、三家は相談して、因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにしたが、和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となった。

というのが史実のようです。

ところが、話は戯作者などによって内容が悲恋話に変えられ芝居で上演されるなどして大流行し、史実とは違う戯作者の内容が事実のようになっていきました。

これは、赤穂浪士の話なども同じですが、何百年たっても作家やメディアの力というのは火災より恐ろしいところがあります

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2022年8月20日

8月21日は「福島県民の日」

8月21日は、福島県では「福島県民の日」という記念日になっています。

  • 明治9年(閏年1876)8月21日、旧福島県・磐前県・若松県の3県が合併してほぼ現在と同じ姿の福島県が誕生した。
    そのことからこの日に
    郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げ次世代に引き継ぐことを目的として
    平成9年(1997)に制定された記念日。

上記のことから、県内の各市町村では公共施設の一部などの無料開放が行われます。

その前日に、「聖光学院 対 仙台育英」という準決勝の試合が行われ、聖光学院は18対4の大差で負けはしましたが、キャプテンの赤堀君(3年京都)が最終回の攻撃でランナーでファースト塁上で涙を流しながら最後のバッターで4番の三好君(2年神奈川)に声をかける様子にもらい泣きしてしまいました。

よく最後まで頑張りました。明日8月21日「福島県民の日」の朝刊一面は決まりです。

感動しました。

ベスト4になったことで、聖光学院は再来月の10月に栃木県で開催される「いちご一会とちぎ国体」に出場することが決まりました。
そこで、またもう一度同じメンバーで野球ができるようですから活躍してほしいです・

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2022年8月15日

沖縄と太平洋戦争

昨夜の関口宏さんのBS歴史番組は、沖縄と太平洋戦争のことでしたが、知らない事実が次々と報道され見入ってしまいました。

佐藤栄作首相が沖縄返還の条件として、アメリアかと交わした「有事には、米軍の核ミサイルを沖縄に持ち込むことを日本政府は許可すること」という密約、それはすでにNHKで報道されて知っていましたが、その頃のアメリカ軍人の発言の記録などは知らなくてちょっと驚きました。

ある将校の発言の内容です。

沖縄には米軍基地は無い。なぜなら、沖縄が米軍基地だからである

正確には、少し違いますが上のような発言が米軍将校の一人からあったそうです。

つまり、
「沖縄に米軍基地が在るのではなく、沖縄という米軍基地の中に沖縄の人々が暮らしている」という考え方が、アメリカ軍にはあったということです。

番組では、そのアメリカ側の考えは今でも継続されていることが悲劇を生み、日米交渉のネックになっているようだと結んでいました。

未だに日本はアメリカの統治下のように感じてしまいましたが、そのことで今の平和が維持できている気もして複雑な思いに駆られました。

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2022年8月 7日

悪魔の時系列、原爆目標の町

忌まわしき世界初の原爆使用が行われることになる、1945年(昭和20)米軍の日本への原爆投下計画(マンハッタン計画)では、多くの地域がその目標になっていたことを知っているでしょうか?

1945年(昭和20年)の時系列で表すとゾッとします。

投下目標の主な条件は「軍事拠点が在ること」、「空爆などが少なく多くの住宅が在ること」、「捕虜収容所が無いこと」です。

【 原爆投下を検討するため選定した地域の推移 】

4月> 16の地域が選定される

  • 東京湾、川崎市、横浜市(関東)
  • 名古屋市、大阪市、神戸市、京都市(関西)
  • 広島市、呉 市、下関市、山口市(中国)
  • 八幡市、小倉市、熊本市、福岡市、長崎市、佐世保市(九州)

5月> 3っの市に目標が絞られる

  1. 京都市、
  2. 広島市、
  3. 新潟市

6月> 目標の内で京都市が小倉市(福岡県)に変更される

  1. 小倉市(現北九州市小倉区)
  2. 広島市
  3. 新潟市

7月20日>福島県福島市渡利で、原爆模擬弾投下実験が行われる

  • 20日:この実験で通学中の子供1名犠牲になる

7月26日> 下記の4市に原爆投下命令出る

  1. 広島市、
  2. 小倉市、
  3. 新潟市、
  4. 長崎市

7月31日> 広島 を最優先の目標として決定
      ※広島には捕虜収容所が無かったのがその理由

8月1日> 目標から新潟が除外される。

8月2日> 攻撃日を「8月6日」と決定する。

  • 第一目標=広島市
  • 第二目標=小倉市
  • 第三目標=長崎市
    ※長崎には捕虜収容所があり反対の意見もあった

8月6日> 第一目標の広島市に原爆投下

同じころ> 第二目標の小倉市の上空に近づくも、日本軍の防空攻撃が激しく原爆投下を断念・変更する。

8月9日> 第三目標の長崎市に原爆投下

※8月9日> 未明にソ連軍が日本への侵攻を開始。
尚、この侵攻の計画は、ソ連から
米英に対し2月に知らされていた。日本政府も5月には察知していたが、その情報は軽視された

アメリカが、原爆投下の目標を日本にした理由には、もし不発などで原爆が回収されても、日本にはそれを参考にして原爆を開発する能力は無く、さらにすでに報復攻撃の力は全くないと判断されていたからのようです。

ところが、日本政府では原爆が投下されても戦意が落ちない軍閣僚と、停戦を考える閣僚らとの意見が対立し降伏どころの話では無くなっていました。

アメリカにはすでに原爆は無くなっていましたが、第三の原爆投下を8月15日に決断寸前になっていたようです。

その後は、我々が知る日本史です。

その8月9日が、またやってきます。

 

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2022年5月16日

昭和40年代の「5月15日」の出来事

昨日の5月15日の日曜日は、沖縄が返還されて50年目の日で沖縄県と東京で式典が行われたニュースが流れました。

NHKの朝のテレビ小説「ちむどんどん」も、それに合わせたようにヒロインがその日に東京へ向かって旅立ちました。

そこで、沖縄返還が行われた昭和40年代の、同じ5月15日の出来事をリサーチしてみました

  • 1964年(昭39)5月15日(池田隼人内閣)
    太平洋を横断する「海底電話線」が完成した。
    (※同年10月10日開会で、アジア初の東京オリンピックが開催された。(佐藤栄作内閣))
     
  • 1966年(昭41)5月15日(佐藤栄作内閣)
    日本テレビで『笑点』の放送が始まった。
    初代司会者は「立川談志」。
     
  • 1972年(昭47)5月15日(佐藤栄作内閣)
    沖縄が27年ぶりに日本に返還され沖縄県が誕生した。
     
  • 1973年(昭48)5月15日(田中角栄内閣。大平正芳外相)
    共産圏だった「東ドイツ」と日本が国交を樹立した。
     
  • 1974年(昭49)5月15日(田中角栄内閣)
    日本初のコンビニが開店。
    「セブンイレブン」の1号店が東京都江東区に開店した。

私としては、「沖縄返還」以外の出来事ほとんど印象にないです。

それより、当時の政権者である田中角栄氏や佐藤栄作氏という人物の記憶のほうが強いです。

それだけ、この二人は強烈な政治家だったということでしょうね。

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2022年4月19日

ポグロム

1903年のきょう4月19日、日本では明治36年ですから戊辰戦争が終わって約30年ほど経って明治政府が落ち着いてきたころでしょうか。

ロシア・キシニョフで、ロシア人によるユダヤ人虐殺や拷問・強姦といった恐ろしい迫害事件が発生し、多くのユダヤ人がアメリカへ亡命するということが起こった日だそうです。

これを「ポグロム事件」、または単に「ポグロム」と呼ぶそうです。

「ポグロム」はロシア語で「組織的・計画的な虐殺」を意味し、ナチスドイツが行ったユダヤ人虐殺の「ホロコースト」と同義語のようです。

その恐ろしい舞台になったところが、現在のウクライナの南東部、あのプーチン大統領が勝手に独立を承認したドネツクあたりなんだそうです。

つまり、ロシア軍がウクライナの国民に行っている行為こそが、現代の「ポグロム」だということです。

なんとも歴史と因果は廻るものだと思います。

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2022年1月 3日

三日とろろ

早いもので、今日は正月の3日目ということで、我が家では朝食に長いもをすった「三日とろろ」を食べました。

第一回東京オリンピックのマラソンで銅メダルを得た後に自殺した、福島県須賀川市の「円谷幸吉さん」の遺書の書き出しにも出てきます。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。・・・

これは古くからの習慣で、長くなるとろろイモ(長いイモ、または自然薯)を長寿に掛け一年の健康を祈念するものです。

ざっと調べたら、東北や北関東(宮城・福島・群馬・栃木・山形あたり)には色濃く残る慣習で、その他には長野県(「すり初め」という)、さらに岐阜県や愛知県、そして大阪や関東など全国に広く点在して残っているようですが、その発祥は不明のようです。

そして知名度も恵方巻には、遥かに及ばないので知らない人のほうが多いようです。

山芋には整腸作用や滋養強壮作用があるとされることから、お正月のご馳走に疲れた胃にも良いようです。

薬草の知識は昔の人のほうがはるかに優れていたわけですから、昔から体に良いことを知っていたとしても不思議ではない気がします。

それでも、単純に長いイモ=長生きに掛けただけのほうが有力でしょう。

 

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2021年12月11日

昭和34年12月11日に福島市で

昭和34年(1959)のきょう12月11日、福島市に在った「勧銀福島支店」(現みずほ銀行福島支店)では大変な騒ぎが起こっていました。

当時、プロ野球の巨人軍で大人気だった長嶋茂雄内野手(後に巨人軍監督となり日本一となる)、藤田元司投手(後に巨人軍監督になり日本一となる)、難波昭二郎外野手(後にプロデューサーとなり、さだまさしや小林幸子等を担当)らが同銀行の一日支店長を務めたのです。

具体的には、藤田氏が支店長席に座り、長嶋氏が定期預金係席、難波氏が普通預金の窓口に座ったそうです。

勧銀福島支店には、朝早くから200人近い女性ファンが詰め掛けたそうです。

長嶋氏は・・

「やはりグラウンドでプレーしていた方が気楽ですね。銀行の仕事は大変だということが分かりました」

「女性のファンレターでは福島が一番多いんです。福島の女性はなかなかおしとやかで、きれいですよ」

などと、答えたそうです。

60年以上も前にこんなことがあったなんて、全く知りませんでした。

3人の中で、ご存命なのは長嶋氏だけになってしまいましたが、長嶋氏は覚えていないでしょうね。

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2021年12月 6日

黄門忌

本日12月6日は「黄門忌」という日になっています。

これは、後世になって水戸黄門として有名になる水戸藩第二代藩主の徳川光圀が旧暦の元禄13年(1700年)12月6日に行年73才で他界した日のことです。

亡くなったのは旧暦の日付けですから、今の新暦だと本来はあくる年の1月14日(1701)になりますが、それは気にしないでおきましょう。

知っている人は少なくないと思いますが、「黄門」とは古代中国の中央官庁の役所の「門下省」の通称名で、ここを守る役職が日本の「中納言」の官位・官職と仕事内容な似ていたことから、水戸藩の中納言の徳川光圀で「水戸黄門」と呼ばれるようになったものです。

ただ、徳川光圀が水戸藩主に着いたときは「権中納言 」で、中納言に準ずる下位の位だったのでこれも本来とは違いますが気にしないでおきましょう。

ですから、「水戸黄門は7人だった」とする人も居ます。

  1. 徳川頼房(よりふさ)・
  2. 徳川光圀(みつくに)
  3. 徳川綱條(つなえだ)・
  4. 徳川治保(はるもり)・
  5. 徳川齋脩(なりのぶ)・
  6. 徳川齋昭(なりあき)・
  7. 徳川慶篤(よしあつ)

上記は全て水戸藩の「中納言」の官位を授かった藩主です。

徳川光圀と言えば、日本で初めてバターやラーメンを食べたとか近代食文化に関係しますが、7番目の黄門の徳川慶篤は日本で初めてビスケットパンの製法を入手した人物だそうです。

海外の食文化に好奇心旺盛だった血統なのかもしれません。

その徳川光圀の従兄弟には、3代将軍の徳川家光、初代会津藩主の保科正之(ほしなまさゆき)がいます。

江戸城に天守閣が無いのは、江戸の大火で江戸城も類焼したさいに、「江戸城再建より、江戸の町の再建を優先すべきである」と将軍家光が異母兄弟の保科正之の進言を取り入れ決断したからだとされます。

家康の孫たちは、今の政治家に教えてやりたいすごい政治家が多かったということでしょう。

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2021年8月27日

いんがみだ

2005年4月25日、大学への通学の為にJR福知山線脱線に乗っていた当時19歳の岡崎愛子さんは、107人が死亡したあの大惨事の事故に遭い、1年近くの長期間にわたる入院生活をおくることになります。

治療のかいあって命はとりとめましたが、首から下にまひの障がいが残る体になってしまいました。

一変した生活を数年ほど送るうちにパラリンピックアーチェリー競技に出会い、練習に励み続けパラリンピック代表の座を会得しました。

岡崎さんは、競技の他に「日本財団ボランティアサポートセンター」主催のオンライン講演会で競技との出会いを振り返りながら、なりたい自分の姿を思い描くことの大切さを訴える活動も行っているそうです。

ご本には、福知山線事故の競技者という言われ方が嫌うそうですが、こちらとしてはあの大惨事と、その後の裁判で経営者らが無罪になったりりと、震災と共に記憶から消すことは不可能です。

報道でもそのことは触れないわけにはいきませんし、岡崎さんのかつやくによってあの惨事を思い出すきっかけになると思いますのでそこは了承し、我慢してもらいたいと思います。

パラリンピックの開会式で「片翼の飛行機」ヒロイン役をやった身障者の中二の和合由依由依さん、福島県の震災の詩人として有名な和合亮一さんと同じ名字なので「まさか親戚かな?」と思っていたら、和合さんの祖父は福島県人で、詩人の和合さんも親戚にあたるという偶然を知りました。

福島弁で「いんがみだ」と言う言葉があります。これは「ひどい目に遭って、大変だった」と言う意味です。

「いんがみだ」の言葉に漢字を入れると「因果 見だ」と書きます。

「因果」とは、仏教用語で「過去のことが、後になって影響を与える」という意味です。
つまり、因果の苦労を今味わって苦労したということが基となって転化した方言です。

パラリンピックが、過去の惨事や災害まで思い出させる=「因果」を感じることになるとは思いませんでした。

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