カテゴリー「歴史」の125件の記事

2021年4月 7日 (水)

戦時中「非国民)と今が酷似・・

NHKのテレビ小説、今はB-29による爆撃が激しくなった終戦直前のころを描いています。

幼友達や仲間が戦死し悲嘆にくれ、その辛さをしのごうと芝居の稽古をしているところに警察官が入ってきます。

警官「何をしとんのや?」

おちよ」芝居の稽古だす」

警官「この非常に芝居とはなんや。不謹慎だ」

おちよ「芝居の稽古の何が悪いんだす」

このやり取りの場面を見てすぐに脳裏に浮かんだのは、オリンピック開催を疑問視や反対する方たちが、聖火リレーに対して多くの批判の言葉やコメントを出している様子です。

その考え方が戦時中の警官や自警団、「非国民」を連呼した当時の日本国民に酷似して見えたのです。

東日本大震災の時も、こういう考えがいつの間にか「被災者は楽しそうに笑うのは不謹慎」というおかしな考え方に発展したことを経験しました。

こうやって、聖火の炎に小さな慰めと喜びを抱く人々の思いと、コビッド-19感染を警戒したりスポーツに興味がない人々の思いとが分断されていく気がします。

どちらも、正義が有ると思いますが、戦時下のようなことにだけはならないことを祈りたいです。

「人間は感情の動物」とも言われます。

聖火を見るために、集まった多くの人々を「バカ騒ぎ」と揶揄する方も多くおられますが、ほんの些細な喜びで困難を乗り越えたり、気持ちの憂さを晴らすことができるも人間だと思います。

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2020年11月29日 (日)

大坂(おおざか)の”首都構想”

先日、大阪市民による住民投票で「大阪都構想」は廃案になりました。

維新による大阪都構想は大阪府と大阪市の二重行政是正が目的で、大阪を日本の都とするものではありませんでした。

しかし、大阪を日本の中心都市にする構想(大坂幕府構想)が有ったことが、昨年見つかった古文書で判り現在もその研究が進められているようです。

大坂ハゆく/\ハ御居城にも可被成所ニ御座候間」
おおざかはゆくゆくは御居城にもなさるべくところにござそうろう

意味=「大坂はゆくゆくは(将軍の)居城にもなるところである」

それを考えたのは徳川家康で、実行に移したのが2代将軍徳川秀忠、そして3代将軍家光の親子だったようなのです。

そのやり方は、江戸は忠長に任せ、まず大坂城の改築、後水尾天皇へ娘を嫁がせ公武合体とし、その娘が生んだ皇太子である高仁親王を擁立し、完成した新たな大阪城で権勢を振るうという構想だったと考えられています。

しかし、大阪城は完成したのですが、忠長は乱心、高仁親王は3歳で死去、後水尾天皇は第一子の長女である女一宮に天皇の座を譲位することを宣言し、これによって女一宮が明正天皇(女性天皇)となってしまい大坂幕府構想は無くなったようなのです。

ただ、今回発見された遠州の書状を見てみると、幕府の機能を移転するという話は出てこないらしく真相はこれからの研究の課題のようです。

もし、大阪が徳川幕府の拠点=政治の中心になっていたら、日本の歴史はどうなっていたでしょう?

少なくとも、戊辰戦争の内容は全く変わった様相になっていたことは間違いありません。

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2020年8月21日 (金)

きょうは「福島県民の日」ですが・・

きょう8月21日は「ふくしま県民の日」という県内でも知名度が低い記念日になっていますが、今回はそれではなく国内外では知名度が高い出来事が複数起こった日になっています。

  • 天正19年(1591)豊臣秀吉、転職を禁止。武士・町人・百姓の間にそれぞれ一線を引く。
  • 慶長16年(1611)大地震により猪苗代湖出現。
  • 文久 2年1862)薩摩藩主の島津久光の大名行列護衛の薩摩藩士が、生麦村で行列の前を遮ったイギリス人の若い男女らを斬る(生麦事件)
  • 明治10年(1877)「第一回内国勧業博覧会」が、東京上野公園で開催されれた(~11月30日まで)。
  • 明治10年(1877)上野公園に日本初の噴水ができる。
  • 明治44年(1911)モナ・リザ、盗まれる。2年後無事返還。
  • 大正13年(1924)日本の新聞に、天気図が登場。
  • 昭和58年(1983)フィリピンの元上院議員の「ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア」が、米国亡命から帰国後、マニラ空港で旅客機より国軍兵士に連行された直後に射殺された。
    ※同年、NHK朝のテレビ小説「おしん」が大ヒットしブームまで起こしていた。

生麦事件は、教科書にも出てくる有名な事件ですが、なんといっても福島県民にとっては、あの猪苗代湖が出現した日だというのが一番ですね。

ざっと、410年めになるんですね。

この猪苗代湖から、ファンドールンが水を引き郡山市ができ、この湖水をを利用した猪苗代電力会社ができ東京に電力供給を開始して、そしてその会社が東京電力となっていくわけです。

私の選挙区の現職の根本匠衆議(自民党)の街頭ポスターが、今月になって全て新しくなりましたが、今年の8月には何かが起こるでしょうか?

 

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2020年7月26日 (日)

きょうは何の日・7月26日

NHKラジオの朝の番組で、ラジオ体操の前の6:25分ごろに放送される「今日は何の日」というコーナーがあります。

きょう7月26日もいろいろな出来事が起きていますが、なんといっても75年前の昭和20年(1945)の第二次世界大戦下で、アメリカ(トルーマン)・イギリス(チャーチル)・中華民国(蒋介石国民党政府主席政府)の三国によって「ポツダム宣言」が日本へ発せられた日ということでしょう。

当時の日本では「ポツダム宣言」ではなく「米英支三国共同宣言 」と記したようですが、ようするに3国連合軍が日本に対し発した降伏要求表明です。

そして、このポツダム宣言を日本政府が受諾を決定したのは、原爆投下された後の8月14日になりました。

そのため、「受諾の決断に至ったのは原爆投下による決断」とされてきましたが、それは原爆投下を正当化するためのアメリカ軍と政府の情報・印象操作だったことが、後世の「原爆投下はポツダム宣言より前に決定していた」というアメリカの記録で判っています。

ポツダム宣言を受諾した本当の理由は、日本が連合軍との休戦仲介を頼んでいたソ連が日本への攻撃を開始したことで「降伏しかない」と判断されたことだったことも記録で知られるようになりました。

記録というのは本当に大事です。

それを改ざんしたり、破棄したりしても罪にならないような政府・政治家や官僚がまかり通るのは、進んだ国家だとしても良い国家とは言い難いと思います。

そして、6:30am、♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ・・・♪がラジオから流れ出しました。

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2020年5月11日 (月)

人間の歴史は、はやり病との闘いの歴史

「人間の歴史には戦争も含め、天災と感染症との闘いでもある」という言い方をする人が多いですね。

現在のコビッド-19のパンデミックもそれを裏付けています。

いくつかのサイトで、死者を多く出した古代からのパンデミック感染症のランキングという形で掲載されていました。

 1位・・・ペスト

  • 「黒死病」など、古代から多くの病名で大量の死者を出した最も恐ろしい感染症

 2位・・・インフルエンザ

  • 過去にはスペイン風邪などの名で死者を出し、今現在でもウイルスとの闘いは続いている。

 3位・・・天然痘

  • ローマ帝国は、この病によってほろんだとも言われる史上最悪パンデミックウイルス

 4位・・・コレラ

  • 日本では、感染するとコロリと死ぬので「コロリ」とも言われた感染病

 5位・・・チフス

  • 激しい下痢を起こし衰弱死する「腸チフス」は今でも知られた疫病

 6位・・・マラリア

  • 太平洋戦争において、アメリカ軍兵の最も多い死因は沖縄戦(死者20万人)、次いでマラリア感染での死だとも言われている。

上記のような、結果が出ているようですが、今でもその戦いが続いているのが多いのは恐ろしい限りです。

日本国内だけでの大量死と言えば、江戸の町や明治の陸軍兵などが1万人も死者を出したといわれる「脚気」、ビタミンがまだ発見されていなかったその時代では、脚気も「感染症」だと思われていました。

私の子供のころに恐ろしいと思っていた「日本脳炎」、そして私の祖母・叔父叔母まで死に至らしめた「結核」は今でも変異して薬が効かない「スーパー結核」と言うのが見つかって、戦いは続いているようです。

「コビッド-19」は、歴史上何番目のパンデミックになるのでしょうか?

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2020年1月21日 (火)

赤穂浪士が討入った日は、現在の〇月〇日?

毎年師走になるとテレビでは赤穂浪士討入、「忠臣蔵」の古い映画や話が出るのが常になっていますが、なんだか昨年末はほとんど無かったように感じているのは、私の勘違いでだったのでしょうか?

それはともかく、赤穂浪士(赤穂義士)たちが、吉良邸への討入を断行した日付は現在のカレンダーにすれば‘何月何日’になるのか、気になりませんか?

<講談、赤穂義士の吉良邸討ち入りの一節>

時は「元禄十五年、極月(師走)の十四日、寅の刻」、所は「江戸・本所松坂町の吉良上野介の屋敷・・・

上記のようになりますので、それを細分化すると

  1. 年号・年・・・元禄15年
  2. 干支  ・・・壬午(みずのえうま)
  3.  月  ・・・12月
    ※この年は閏月があるため、1年は13ヵ月
  4.  日  ・・・14日
  5. 六曜  ・・・先勝
  6. 時刻   ・・・午前5時前ごろ

これらのことを令和元年度(平成31年度)に合わせると、こんな日にちにあてはめられます。

 

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2019年8月21日 (水)

ふくしま県民の日

きょうは「福島県民の日」という記念日になっています・・・が、県民でも承知している人は多くない気がします。
じつは私もよく判っていませんでしたので、テレビで報道されるまで気が付きませんでした。

なぜ<8月21日>が県民の日なのか? 改めて県のホームページで確かめてみました。

 明治9年(1876) 8月21日に、旧福島県(二本松県と旧福島県の併合)・磐前県若松県の3県が合併して現在とほぼ同じ福島県の姿が誕生したことから、郷土への理解を深め、郷土愛を育みながら、県民が心を合わせてより豊かな福島県を築き上げ次世代に引き継ごうと平成9年(1997)に制定しました。(※福島県のHPからそのまま引用

↑という説明がありましたが、もっと細かく言うとこの3県に、旧仙台県(現宮城県)の南部が併合されています。

この3県が、現在の福島県の3地方、会津地方・中通り地方・浜通り地方の三通りの呼称の素になっています。

明治9年というのは閏年、干支は丙子(ひのえね、へいし)、明治政府の「第2次府県統合」が行われ年で、これによって福島県の他に山形県・宮城県・群馬県・栃木県・埼玉県・長野県・岐阜県・静岡県・京都府・兵庫県・福岡県・大分県がほぼ現在の形になった年です。

そしてこの年は、明治政府が大礼服着用者・軍人・警官以外の帯刀を禁止した法令、つまり歴史上で有名な廃刀令が断行されたとしになり、これで特権を奪われた不平士族の中には、反乱を起こす者が現れ始めた年でもあるようです。

今から数えて140年ほど前、私の亡き祖父が生まれる15年ほど前のことなんですが、記念日となったのが平成9年で、比較的新しいのはどういうことなのでしょうかね?。明治9年と平成9年を合したのでしょうかね。

平成9年は日本がサッカーワールドカップに初出場し大騒ぎだった年、そして我が家では・・・父が亡くなった年であります。

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2019年7月 4日 (木)

偶然の独立記念日

1776年の7月4日、アメリカはイギリスから独立し「アメリカ合衆国」になりました。

それから170年後の1946年、日本では昭和21年の同じ7月4日、こんどはフィリピンがアメリカ合州国から独立を果たしました。

この偶然はなんでしょう?不思議ですね。

ちなみに日本ではフィリピンの独立からほぼ40年後の1967年の7月4日のきょう、タカラが「リカちゃん」を発売開始した記念の日だそうです。

このことを同じ偶然に入れるのは、かなり強引ですね。

ちなみにわたしの母型の祖父はフィリピンのルソン島で戦死しています。終戦になる前年のことでした。

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2019年7月 1日 (月)

捕鯨 と 浄瑠璃

ついに日本の商業捕鯨が再開されました。グリーンピースなどの妨害が起こるかもしれませんが、こんどは日本の領海内での操業になるので「領海侵犯」で対抗できるかもしれません。

そもそも日本が脱退を表明したIWCとは国際捕鯨委員会であり、目的は‘乱獲しない捕鯨を推進’であり“捕鯨禁止”が目的の組織ではなかったはずなのに、いつの間にかクジラの乱獲の真犯人国家だったオーストラリアやアメリカの意向で変わってしまったのですから、脱退は致し方ないというのが私の考えです。

クジラの商業捕鯨が可能になったことで、無形文化財にもなっている浄瑠璃人形やからくり人形には欠かせないクジラからとれる素材が、今まで捕獲禁止が長く続いて入手は絶望的な状況だったことが解消しそうです。

ちなみに、捕鯨の伝統的文化を持ち食糧として捕鯨をしている国々には、ロシア、日本、ノルウェー、アイスランド、フェロー諸島(デンマーク自治領)、カナダ、インドネシアなどが挙げられ、ほとんどがIWC=国際捕鯨委員会を脱退していて、日本は遅いくらいでした。

捕鯨反対の先頭に立つオーストラリア国内では、カンガルーの捕獲が問題になっていて、筋金入りの反捕鯨派でもあるムジャドウェシュという人は「カンガルーを殺すのをやめるよう、日本がオーストラリアに圧力をかけるのは大歓迎だ」と語っているそうです。

オーストラリアって、矛盾した国家です。

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2019年6月16日 (日)

若松コロニー

明治維新のころと言うのは、日本の歴史が最も混沌とした時期でありましょう。ですから、知らない史実が非常に多く存在しています。その多くは明治政府によって隠蔽されたものですが、そればかりではありません。

福島の地元紙ではそういう史実で福島県ゆかりの事柄や名を残さずとも偉業を行った人物を震災後から特集するようになりました。
先週からの話題は「若松コロニー」について慰問団や歴史を特集していますが、これまた全く私は知らない歴史でした。

若松コロニーとは戊辰戦争そして会津戦争終結後の明治2年に旧会津藩からアメリカの東海岸側に在るカリフォルニア州に渡った農業開拓団の入植地のことです。

 今から150年前の明治2年(1869)、会津藩軍事顧問だったヘンリー・スネル氏と共に米国船「チャイナ号」でサンフランシスコの港「サウス・ビーチ」に到着したとされ、日本人として北米最初の移民団はエルドラド郡ゴールドヒルでアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成し茶と絹の生産を試みた。
しかし、その試みはうまくいかず若松コロニーはわずか2年で崩壊し、入植者たちは帰国したり散り散りになり、その存在すら人々の記憶から消えていった。

年月は流れ、日本では改元になり大正時代となったころサクラメントの邦字紙「櫻府日報」(日本人向けのアメリカ国内の新聞)の記者の竹田文治郎(雪城)氏が、若松コロニーの一員で唯一現地に残り、19歳という若さで亡くなった少女「おけいさん」を、‘アメリカ本土の土に眠る最初の日本人女性’などとして紹介しその特集記事を載せたことで世に知られることになった。それは大正5年(1916)のことであり、すでに50年近くも経ったころであった。

今回、跡地を訪れ、現地に記念碑を建立する若松コロニー150周年記念会津訪米団は、コロニー跡地にある日本人女性初の米国移民で故郷を思いながら19歳で死去した「おけい」の墓があるゴールドヒルの小高い丘の上で式典やおけいさんをしのぶ歌などを合掌し、御霊を慰めたようです。

訪米団が建立した「義」の文字の入った記念碑は、訪問団の団長を務めた会津松平家15代当主となる松平親保(ちかもり)さん(20)が揮毫(きごう)したそうです。

150周年記念行事は、訪米団がアメリカに到着した6月8日に合わせたらしく、それで今月になったようです。

150周年訪問団は、地元のメディアの取材を受けたようですが、コロニー跡やおけいさんのお墓を残してくれていた地元のアメリカの人々の心遣い、なんだか日本人的な気がしました。

 

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