カテゴリー「歴史」の131件の記事

2022年1月 3日 (月)

三日とろろ

早いもので、今日は正月の3日目ということで、我が家では朝食に長いもをすった「三日とろろ」を食べました。

第一回東京オリンピックのマラソンで銅メダルを得た後に自殺した、福島県須賀川市の「円谷幸吉さん」の遺書の書き出しにも出てきます。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。・・・

これは古くからの習慣で、長くなるとろろイモ(長いイモ、または自然薯)を長寿に掛け一年の健康を祈念するものです。

ざっと調べたら、東北や北関東(宮城・福島・群馬・栃木・山形あたり)には色濃く残る慣習で、その他には長野県(「すり初め」という)、さらに岐阜県や愛知県、そして大阪や関東など全国に広く点在して残っているようですが、その発祥は不明のようです。

そして知名度も恵方巻には、遥かに及ばないので知らない人のほうが多いようです。

山芋には整腸作用や滋養強壮作用があるとされることから、お正月のご馳走に疲れた胃にも良いようです。

薬草の知識は昔の人のほうがはるかに優れていたわけですから、昔から体に良いことを知っていたとしても不思議ではない気がします。

それでも、単純に長いイモ=長生きに掛けただけのほうが有力でしょう。

 

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2021年12月11日 (土)

昭和34年12月11日に福島市で

昭和34年(1959)のきょう12月11日、福島市に在った「勧銀福島支店」(現みずほ銀行福島支店)では大変な騒ぎが起こっていました。

当時、プロ野球の巨人軍で大人気だった長嶋茂雄内野手(後に巨人軍監督となり日本一となる)、藤田元司投手(後に巨人軍監督になり日本一となる)、難波昭二郎外野手(後にプロデューサーとなり、さだまさしや小林幸子等を担当)らが同銀行の一日支店長を務めたのです。

具体的には、藤田氏が支店長席に座り、長嶋氏が定期預金係席、難波氏が普通預金の窓口に座ったそうです。

勧銀福島支店には、朝早くから200人近い女性ファンが詰め掛けたそうです。

長嶋氏は・・

「やはりグラウンドでプレーしていた方が気楽ですね。銀行の仕事は大変だということが分かりました」

「女性のファンレターでは福島が一番多いんです。福島の女性はなかなかおしとやかで、きれいですよ」

などと、答えたそうです。

60年以上も前にこんなことがあったなんて、全く知りませんでした。

3人の中で、ご存命なのは長嶋氏だけになってしまいましたが、長嶋氏は覚えていないでしょうね。

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2021年12月 6日 (月)

黄門忌

本日12月6日は「黄門忌」という日になっています。

これは、後世になって水戸黄門として有名になる水戸藩第二代藩主の徳川光圀が旧暦の元禄13年(1700年)12月6日に行年73才で他界した日のことです。

亡くなったのは旧暦の日付けですから、今の新暦だと本来はあくる年の1月14日(1701)になりますが、それは気にしないでおきましょう。

知っている人は少なくないと思いますが、「黄門」とは古代中国の中央官庁の役所の「門下省」の通称名で、ここを守る役職が日本の「中納言」の官位・官職と仕事内容な似ていたことから、水戸藩の中納言の徳川光圀で「水戸黄門」と呼ばれるようになったものです。

ただ、徳川光圀が水戸藩主に着いたときは「権中納言 」で、中納言に準ずる下位の位だったのでこれも本来とは違いますが気にしないでおきましょう。

ですから、「水戸黄門は7人だった」とする人も居ます。

  1. 徳川頼房(よりふさ)・
  2. 徳川光圀(みつくに)
  3. 徳川綱條(つなえだ)・
  4. 徳川治保(はるもり)・
  5. 徳川齋脩(なりのぶ)・
  6. 徳川齋昭(なりあき)・
  7. 徳川慶篤(よしあつ)

上記は全て水戸藩の「中納言」の官位を授かった藩主です。

徳川光圀と言えば、日本で初めてバターやラーメンを食べたとか近代食文化に関係しますが、7番目の黄門の徳川慶篤は日本で初めてビスケットパンの製法を入手した人物だそうです。

海外の食文化に好奇心旺盛だった血統なのかもしれません。

その徳川光圀の従兄弟には、3代将軍の徳川家光、初代会津藩主の保科正之(ほしなまさゆき)がいます。

江戸城に天守閣が無いのは、江戸の大火で江戸城も類焼したさいに、「江戸城再建より、江戸の町の再建を優先すべきである」と将軍家光が異母兄弟の保科正之の進言を取り入れ決断したからだとされます。

家康の孫たちは、今の政治家に教えてやりたいすごい政治家が多かったということでしょう。

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2021年8月27日 (金)

いんがみだ

2005年4月25日、大学への通学の為にJR福知山線脱線に乗っていた当時19歳の岡崎愛子さんは、107人が死亡したあの大惨事の事故に遭い、1年近くの長期間にわたる入院生活をおくることになります。

治療のかいあって命はとりとめましたが、首から下にまひの障がいが残る体になってしまいました。

一変した生活を数年ほど送るうちにパラリンピックアーチェリー競技に出会い、練習に励み続けパラリンピック代表の座を会得しました。

岡崎さんは、競技の他に「日本財団ボランティアサポートセンター」主催のオンライン講演会で競技との出会いを振り返りながら、なりたい自分の姿を思い描くことの大切さを訴える活動も行っているそうです。

ご本には、福知山線事故の競技者という言われ方が嫌うそうですが、こちらとしてはあの大惨事と、その後の裁判で経営者らが無罪になったりりと、震災と共に記憶から消すことは不可能です。

報道でもそのことは触れないわけにはいきませんし、岡崎さんのかつやくによってあの惨事を思い出すきっかけになると思いますのでそこは了承し、我慢してもらいたいと思います。

パラリンピックの開会式で「片翼の飛行機」ヒロイン役をやった身障者の中二の和合由依由依さん、福島県の震災の詩人として有名な和合亮一さんと同じ名字なので「まさか親戚かな?」と思っていたら、和合さんの祖父は福島県人で、詩人の和合さんも親戚にあたるという偶然を知りました。

福島弁で「いんがみだ」と言う言葉があります。これは「ひどい目に遭って、大変だった」と言う意味です。

「いんがみだ」の言葉に漢字を入れると「因果 見だ」と書きます。

「因果」とは、仏教用語で「過去のことが、後になって影響を与える」という意味です。
つまり、因果の苦労を今味わって苦労したということが基となって転化した方言です。

パラリンピックが、過去の惨事や災害まで思い出させる=「因果」を感じることになるとは思いませんでした。

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2021年8月 5日 (木)

記念日「金銀の日」

ちょっと過ぎてしまいましたが、8月2日(月)は「金銀の日」と言う記念日だったのです。

金銀といってもお金にまつわる記念日ではありません。

これは、昭和3年(1928)8月2日にオランダで開催された「アムステルダムオリンピック」で、日本代表の織田幹雄選手が三段跳びで日本初(アジア人初)の金メダルを獲得したこと。

そして、同じ日の陸上女子800メートルで、人見絹枝選手が銀メダルを獲得した快挙を記念して設けられた記念日です。

ここで気が付くのは、戦前もオリンピックは夏の今頃に行われていたことです。

調べたら、1964年の東京五輪と次の1968年メキシコ五輪は10月で、それ以前は7月~8月が多くて、4月や6月もありました。

今の時期に固定されたのは、メキシコ五輪のの次の1972年ミュンヘン五輪以降のようです。

まだ終わっていませんが、世界の約10億人ほどの人が視ると言われるオリンピック、今回の東京五輪は世界でどのくらいの人がテレビを視たのでしょう?。

40億~50億人以上の人々がテレビを視ると言われる、世界最大人気のワールドカップサッカー(4年に1回)を越えたのでしょうか。

言えるのは、日本国内の視聴率だけは間違いなく過去最高だったということでしょう。

ちなみに、菅総理は「40億人が視るオリンピック」と言ってましたが、それはワールドカップサッカーとの勘違いでしょう。

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2021年4月16日 (金)

オリンピック、東京都、伝染病

コビッド-19感染拡大で1年延期になった東京オリンピック・パラリンピック大会の聖火リレーは四国を巡っています。

その様子について、16日付の福島県の地元新聞2紙に福島県在住の臨済宗の僧侶で小説家の「玄侑 宗久(げんゆう そうきゅう氏」が↓

ロナ渦の中、オリンピック開催に向け聖火リレーする様子は、まるで戦時中の「一億玉砕」を強要しているかのようだ

というような趣旨で、オリンピック開催への疑念のコラムを掲載していました。 

そのコラムの中で、前回の昭和39年(1964)10月に開幕した「東京オリンピック」(第18回オリンピック大会)の時の、政府の対応も似ていたことを例に挙げていましたが、その例の内容のほうが知らなかった事実なので驚かされました

前回は昭和39年10月10日が開催のオリンピックでしたが、ほぼその直前の月遅れのお盆が過ぎた8月下旬ごろにそれは起こりました。

8月26日(報道日)
千葉県習志野市の大久保地区にあった旅館の泊り客の男性がコレラ死亡。感染経路不明。

オリンピック本番への悪影響を考えた日本政府など関係組織、その行動は早かったようです。

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2021年4月 7日 (水)

戦時中「非国民)と今が酷似・・

NHKのテレビ小説、今はB-29による爆撃が激しくなった終戦直前のころを描いています。

幼友達や仲間が戦死し悲嘆にくれ、その辛さをしのごうと芝居の稽古をしているところに警察官が入ってきます。

警官「何をしとんのや?」

おちよ」芝居の稽古だす」

警官「この非常に芝居とはなんや。不謹慎だ」

おちよ「芝居の稽古の何が悪いんだす」

このやり取りの場面を見てすぐに脳裏に浮かんだのは、オリンピック開催を疑問視や反対する方たちが、聖火リレーに対して多くの批判の言葉やコメントを出している様子です。

その考え方が戦時中の警官や自警団、「非国民」を連呼した当時の日本国民に酷似して見えたのです。

東日本大震災の時も、こういう考えがいつの間にか「被災者は楽しそうに笑うのは不謹慎」というおかしな考え方に発展したことを経験しました。

こうやって、聖火の炎に小さな慰めと喜びを抱く人々の思いと、コビッド-19感染を警戒したりスポーツに興味がない人々の思いとが分断されていく気がします。

どちらも、正義が有ると思いますが、戦時下のようなことにだけはならないことを祈りたいです。

「人間は感情の動物」とも言われます。

聖火を見るために、集まった多くの人々を「バカ騒ぎ」と揶揄する方も多くおられますが、ほんの些細な喜びで困難を乗り越えたり、気持ちの憂さを晴らすことができるも人間だと思います。

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2020年11月29日 (日)

大坂(おおざか)の”首都構想”

先日、大阪市民による住民投票で「大阪都構想」は廃案になりました。

維新による大阪都構想は大阪府と大阪市の二重行政是正が目的で、大阪を日本の都とするものではありませんでした。

しかし、大阪を日本の中心都市にする構想(大坂幕府構想)が有ったことが、昨年見つかった古文書で判り現在もその研究が進められているようです。

大坂ハゆく/\ハ御居城にも可被成所ニ御座候間」
おおざかはゆくゆくは御居城にもなさるべくところにござそうろう

意味=「大坂はゆくゆくは(将軍の)居城にもなるところである」

それを考えたのは徳川家康で、実行に移したのが2代将軍徳川秀忠、そして3代将軍家光の親子だったようなのです。

そのやり方は、江戸は忠長に任せ、まず大坂城の改築、後水尾天皇へ娘を嫁がせ公武合体とし、その娘が生んだ皇太子である高仁親王を擁立し、完成した新たな大阪城で権勢を振るうという構想だったと考えられています。

しかし、大阪城は完成したのですが、忠長は乱心、高仁親王は3歳で死去、後水尾天皇は第一子の長女である女一宮に天皇の座を譲位することを宣言し、これによって女一宮が明正天皇(女性天皇)となってしまい大坂幕府構想は無くなったようなのです。

ただ、今回発見された遠州の書状を見てみると、幕府の機能を移転するという話は出てこないらしく真相はこれからの研究の課題のようです。

もし、大阪が徳川幕府の拠点=政治の中心になっていたら、日本の歴史はどうなっていたでしょう?

少なくとも、戊辰戦争の内容は全く変わった様相になっていたことは間違いありません。

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2020年8月21日 (金)

きょうは「福島県民の日」ですが・・

きょう8月21日は「ふくしま県民の日」という県内でも知名度が低い記念日になっていますが、今回はそれではなく国内外では知名度が高い出来事が複数起こった日になっています。

  • 天正19年(1591)豊臣秀吉、転職を禁止。武士・町人・百姓の間にそれぞれ一線を引く。
  • 慶長16年(1611)大地震により猪苗代湖出現。
  • 文久 2年1862)薩摩藩主の島津久光の大名行列護衛の薩摩藩士が、生麦村で行列の前を遮ったイギリス人の若い男女らを斬る(生麦事件)
  • 明治10年(1877)「第一回内国勧業博覧会」が、東京上野公園で開催されれた(~11月30日まで)。
  • 明治10年(1877)上野公園に日本初の噴水ができる。
  • 明治44年(1911)モナ・リザ、盗まれる。2年後無事返還。
  • 大正13年(1924)日本の新聞に、天気図が登場。
  • 昭和58年(1983)フィリピンの元上院議員の「ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア」が、米国亡命から帰国後、マニラ空港で旅客機より国軍兵士に連行された直後に射殺された。
    ※同年、NHK朝のテレビ小説「おしん」が大ヒットしブームまで起こしていた。

生麦事件は、教科書にも出てくる有名な事件ですが、なんといっても福島県民にとっては、あの猪苗代湖が出現した日だというのが一番ですね。

ざっと、410年めになるんですね。

この猪苗代湖から、ファンドールンが水を引き郡山市ができ、この湖水をを利用した猪苗代電力会社ができ東京に電力供給を開始して、そしてその会社が東京電力となっていくわけです。

私の選挙区の現職の根本匠衆議(自民党)の街頭ポスターが、今月になって全て新しくなりましたが、今年の8月には何かが起こるでしょうか?

 

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2020年7月26日 (日)

きょうは何の日・7月26日

NHKラジオの朝の番組で、ラジオ体操の前の6:25分ごろに放送される「今日は何の日」というコーナーがあります。

きょう7月26日もいろいろな出来事が起きていますが、なんといっても75年前の昭和20年(1945)の第二次世界大戦下で、アメリカ(トルーマン)・イギリス(チャーチル)・中華民国(蒋介石国民党政府主席政府)の三国によって「ポツダム宣言」が日本へ発せられた日ということでしょう。

当時の日本では「ポツダム宣言」ではなく「米英支三国共同宣言 」と記したようですが、ようするに3国連合軍が日本に対し発した降伏要求表明です。

そして、このポツダム宣言を日本政府が受諾を決定したのは、原爆投下された後の8月14日になりました。

そのため、「受諾の決断に至ったのは原爆投下による決断」とされてきましたが、それは原爆投下を正当化するためのアメリカ軍と政府の情報・印象操作だったことが、後世の「原爆投下はポツダム宣言より前に決定していた」というアメリカの記録で判っています。

ポツダム宣言を受諾した本当の理由は、日本が連合軍との休戦仲介を頼んでいたソ連が日本への攻撃を開始したことで「降伏しかない」と判断されたことだったことも記録で知られるようになりました。

記録というのは本当に大事です。

それを改ざんしたり、破棄したりしても罪にならないような政府・政治家や官僚がまかり通るのは、進んだ国家だとしても良い国家とは言い難いと思います。

そして、6:30am、♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ・・・♪がラジオから流れ出しました。

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