水稲米の収穫の今昔
稲刈り時期を迎えた時期に、雨ばかりの天気の予報で稲刈りが遅れる心配が出てきました。
さて、水稲の収穫は私が子供のころと現代ではかなり様相が変わりましたが、その違いを詳しく知ることは非農家には無いでしょうからちょっと記事にしたくなりました。
昔>(昭和40年代以前)
- 前年の初冬ごろから、俵(たわら)を作り始まる
※藁で筵(むしろ)を編み、俵の蓋を作り、それを止める藁縄を綯い始める - 稲刈り、同時に稲束を作る
※沢山の人数を要する大作業で、嫁さんたちは食事などの準備も大変だった - 約一月ほど乾燥
※それで価格が決まるため、乾燥具合の判断は難しく経験と勘がものを言った。 - 脱穀
※脱穀機は組合で保有し専属の操縦の人がいて、各家が順番に回っていた - 籾摺りと俵詰め(1俵の米は66kg)
※籾摺り機械は、組合で保有し専属の操縦の人がいて各家を順番に回っていた。
稲刈りほどじゃないが、俵詰めには技術と時間がかかるため多人数を要し、嫁さんたちは食事などの準備が大変だった - 出荷
現在>
- 稲刈り・脱穀(一つの機械で同時作業)
そして、同日の夜に乾燥(乾燥機で水分量を計測し約一晩) - 籾摺りと紙袋(1袋は30kg)詰め
- 出荷
※放射線量検査=福島県のみ
福島県内の場合は、出荷に「線量検査」というのが付け加えられますが、昔と今では作業工程・時間は半分以下、一俵の重さも半分以下、そして人数はほぼ10分の1ほどになりました。
昔も、蓆を編む道具や縄をなう機械なども有りましたが、今の農業機械や設備費用などは昔の数万倍(それ以上)というものになっています。
稲刈りや、籾摺りの時は多くの人が来てご馳走るので、私はその時だけ「白いご飯(=白米)」をいっぱい食べられるのがうれしかったです。
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