カテゴリー「雑学・考察」の440件の記事

2024年12月 4日

知らないと失礼になることば

寒くなった年末、妻の従兄が亡くなられたとの連絡を妻の実家から届きました。

ただ、妻の従弟と言っても20歳ほどの歳の差があり、私は結婚当初のころ妻の叔父と間違えていたほど高齢の方ではあります。

こういう場合、故人に対しては「ご冥福をお祈りします」という言葉がよく使われます。

ところが、そもそも冥途の考えが無いキリスト教や神道、仏教でも浄土真宗はこの言葉を使ってはいけないので、テレビなどではこれを使わず「お悔やみ申し上げます」というのが一般的になりました。

それでは、それらの宗派にはどんなことばが適しているのか?

浄土真宗」の場合

  • 「お悔やみ申し上げます

神道」の場合

  • 「御霊(みたま)のご平安をお祈りします」
  • 「御安霊(ごあんれい)の安らかならんことをお祈りします」

キリスト教」の場合

  • 「安らかな眠りにつかれますよう、お祈り致します」

こういうのを頭の片隅に入れておいた方が良いですし、そしてその故人の地域のやり方を前もってしっておけばなおよろしいでしょうね。

ただ、それがなかなかできないのがこういう急な事でもありますので、わたしは無言で深くお辞儀するだけに心がけています。

今回亡くなった妻の従兄の家は、偶然にも菩提寺が我が家と同じだったのでその点では気が少し楽です。

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2024年11月26日

こんりんざい

朝ドラの再放送を視ていたら「じんけん」と言う言葉出てきて懐かしい言葉だと感じました。

人絹(じんけん)とは「人造絹糸」の略、今の言葉で言えば「レーヨン」という化繊を指します。

それに対し絹糸だけの生地を「正絹(しょうけん。純絹・本絹)」と言うのですが、専門業種の人を除けば今の若い方には理解されないでしょうね。

そしてさらに古い時代劇で中村梅之助さんが主役の「伝七捕り物帳」の中で「もう こんりんざいいたしません」というセリフが出てきました。

当然に意味は解りますが「さて『こんりんざい』とは不思議な言葉だな。語源は?」と思ったのです。

「こんりんざい」とは漢字で書くと「金輪際」、難しい漢字ではありませんがこの漢字を知っている人は少ないと思います。

この言葉は仏教の宇宙観から来ている言葉になりますが、その考えだと我々が住む世界・大地は虚空という海のようなところに浮かんでいると考えられています。

浮いている最上階層に我々が住む大地がありそれを「金輪」と言い、その下に「水輪」、さらに最下位層が「風輪」となっていると考えられています。

その金輪と水輪との境、ようするに「金輪の際(きわ)」を「金輪際」といい、つまり大地の最底を指す言葉でこれが転じて限界とか到底とかに使うようになったようです。

この仏教の考え方、流動するマントルとか地球の核とかを連想できてしまうことが驚きでした。

まさか、古代から地球の深層の様子を知っていたのでしょうか?不思議です。

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2024年10月 7日

「健康」と言う言葉はいつできたか

健康へのこだわりは、全世界の人々に共通する思いでしょう。

さてこの「健康」という熟語は昔の日本には存在しませんが、それは何時から使われるようになったのか?語源は何だろうか?と思いに至る人は稀だと思います。

漢字と言えばそのすべてが中国から導入されたもで、健康の語源は中国の古典『易経』の「健体康心」といわれていますが、中国では過去も現在も「健康」は使われていないのでそれは違うようです。

「健康」と言う熟語が最初に出てくるのは江戸時代中期の1751年(第8代将軍徳川吉宗と江戸町奉行大岡越前守忠相が相次いで亡くなった年)、静岡県沼津市にある松蔭寺の禅師白隠慧鶴が法話を記述した仮名法話『於仁安佐美』の中で初めて「健康」という記述が出てくるそうです。

その後、江戸時代後期になって、蘭学者たちが「Health」の日本語訳として「健康」を使用、1796年には稲村三伯が刊行した蘭和辞典『波留麻和解』の中で「健康」が使われて、長い間これが最初の「健康」の使用と考えられてきました。

ただ、これらは江戸時代の名医である蘭方医の緒方洪庵や語学の天才と呼ばれた高野長英らなど、当時の知識人たちの中だけで使われていたようです。

「健康」が国民的に使われだしたのは明治になってからで、福沢諭吉が『学問ノススメ』や『文明論之概略』などで使用したことにより、「健康」が常用語になっていったようです。

ちなみに、現在中国では日本語でいう「」のことを、前後が逆になる「」と記しているようです。

健康は、心身ともに願いたいです

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2024年8月21日

8月20日は「交通信号設置記念日」だった

昭和6年(1931年)の8月20日、東京・銀座の尾張町交差点(現在の銀座4丁目交差点)・京橋交差点などに、日本初の3色灯の自動交通信号機信号機が設置されました。(※国内初の機械式の交通信号機設置は、昭和5年(1930)で東京・日比谷の交差点

その日にちなんで8月20日を「交通信号設置記念日」(交通信号の日)として定められたそうです。

当時の信号は、今と違って色が変わるたびにベルが鳴るしくみで、その色も欧米(国際規定)に合わせ」「」「」の信号機だったそうですが、その緑色が青色になった顛末は過去のブログ『信号機って3色欲しいかな?: つぶやき古道(コミチ) (cocolog-nifty.com) 』を参照にしてください。

ちなみに、信号機のライトが3色の場合、横型のものは左から青色・黄色・赤色、縦型のものは上から赤色・黄色・青色の順に配列されていますが、これは交通安全の上で最も重要な赤色が最も視認性の良い位置に配置するとして道路交通法に定められているからです。

日本人は海外の人たちから、車が来なくても横断しないなど信号機をよく守る国民と言われますが、その評価が変わらないことを願いたいです。

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2024年6月10日

本日は新聞が来ない朝

昨日が休刊日のため、本日の新聞は配達されずなんともスッキリしないので「休刊日」の回数は?実施される期日は?と気になって調べてみました。

まず新聞休刊日の回数というのは、次のような経緯をたどったようです。

  • 1956年(昭31)まで、年2回、
  • 1957年(昭32)~1967年(昭42)まで、年3回、
  • 1968年(昭43)~1972年(昭47)まで、年4回、
  • 1973年(昭48)からは祝日以外の日曜日にも新設され、年6 - 9回程度
  • 1991年(平3)~2001年(平13)までは毎月の12回実施される。
  • 2002年(平14)~2017年(平29)までは、「3月と4月又は8月」を除く10ヵ月・10回の実施
  • 2018年(平30)は3月以外の11ヵ月・11回の実施
  • 2019年(平31・令和元)以降は毎月の12回実施されている。

こうしてみると昭和31年までの休刊日の2回というのは、「お盆」と「正月」だったのでしょうか?

いずれにしても、私が幼いころも休刊日は有ったようですが、その記憶はまったくなく、毎朝届き亡き父が入念に読んでいた記憶しかありません。

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2024年6月 2日

植物分類名変更で混乱する図鑑

このブログには「マイフォト」として多くの花や植物をアップし、その説明に○○科○○属のような分類名も記載するようにしていますが、調べるサイトや図鑑によって違っていることが多々あります。

その理由が判りました

植物の分類というのは旧ロシアやドイツなどの科学者によって始まったのは、日本ではまだ江戸時代のころになります。

その分類は、顕微鏡を使っての気の遠くなるような分析によるものでした。

ところが、近代(特にここ数年)になると顕微鏡が発達、さらに「ゲノム解析(遺伝子解析)」による分子系統学が大きく発展し、植物の分類体系もこの手法を用いた分類が主流になり、植物の分類と分類名は一変してしまったのです。

そのため旧分類とゲノム解析の近代分類などが、図鑑によって混在するようになったようなのです。

例えば「ガマズミ」という樹木は「ガマズミ科」という分類でしたが「スイカズラ科」になり、近代のゲノム解析から「レンプクソウ科」と変更され二つの分類名が併用されるようになります。

その後、より古い名称に優先権があるので、「ガマズミ科」を用いることが決まったのです(2017年7月の国際植物学学会より引用)

2023年度前期放送のNHK連続テレビ小説『らんまん』の主役で神木隆之介さんが演じた「槙野万太郎」は、高知県高岡郡佐川町出身で「日本の植物学の父」と知られる「牧野 富太郎(まきの とみたろう、1862年5月22日(文久2年)~ 1957年〈昭和32年〉1月18日)氏でした。

同氏は寝食もも忘れて日本中の植物の分類を行った人物ですが、それだけ苦労した分類の多くが「正しくない」として変更されている現在の様子をあの世から見てどう思っているでしょうか?

たぶん「今の若い科学者は素晴らしい」とおっしゃっていることでしょう。

ただ、困っているのはわたしです。マイフォトの植物の分類名の多くが変更されていて「どうしよう」です。

気が向いたら、少しづつやろうかな・・・(笑)

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2024年4月 3日

『最中』⇐読み方は?

「最中」という漢字が表記された場合に、いつもは何と読むことが多いでしょうか?

先日、岸田総理の答弁のテロップに「・・・の最中」というのが出たので、わたしは何気なく「・・・のさいちゅう」という言葉が発せられるものと思っていたら、岸田総理からは「・・・のさなかという言葉が発せられたのでまごついてしまいました。

日本語の漢字は読み方が変わるとちょっとだけ意味が変わります。

さいちゅう

  1. 動作・状態が現在進行していること。
  2. 物事がたけなわの時。
  3. まんなか。

さなか

  1. 物事が盛んにおこなわれているとき。

さて、始めの「さなか」と「さいちゅう」、この使い分けはその人のお好みと状況と話の流れによるのでしょうね。

そしてもう一つの読み方は、私の好きな和菓子の一つでしょう

もなか

  • 和菓子の「最中の月」から「の月」が省かれ、「最中」に省略された言葉。
  • 昔、「最中の月」という煎餅があり、後にその煎餅に餡を乗せたのが出て、さらにそれに蓋がつけられ現在の形になった。

和菓子の「もなか」の場合、現在のは本来の語源からすれば”餡子付きの最中(煎餅)”といことのようです。

つまり、「最中の月」とは満月のことなのでしょうかね

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2024年3月24日

平野水➡3月28日

アサヒ飲料株式会社(アサヒグループホールディングスの子会社) が製造販売する「三ツ矢サイダー」は約130年の歴史をもちます。

始まりは明治14(1881)年、ウィリアム・ガランというイギリスの化学者が日本で天然鉱泉水を発見し、平野鉱泉を飲み物として炭酸水の製造を開始し、明治17(1884)年に「平野水」として発売されました。

明治30(1897)年に宮内省の指定御料品になり、明治40(1907)年には、平野の鉱泉水に輸入したサイダーフレーバーエッセンスで味付けした「三ツ矢」印の「平野シャンペンサイダー」を発売されます。

その後1952年(昭27)に「全糖 三ツ矢シャンペンサイダー」と商品名が変わり、1968年(昭43)にその名から「シャンペン」という名前を省きできた名前が現在に至る「三ツ矢サイダー」です。

アサヒ飲料は3月28日を「三ツ矢(328)の日」と制定し、2015年から3月28日周辺の週末に、一部の店舗で「三ツ矢感謝祭」を開催しているそうです。

私は幼いころからこのサイダーの炭酸が苦手でした。

その苦手だったサイダーですが年のせいでしょうか?それとも、昔より炭酸が強くなくなったからなのでしょうか?このごろ無性に飲みたくなるときがあるようになりました。

何とも言えない飲み物です。

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2023年12月20日

「ばつが悪い」とは派閥のことか?

昨日は政治資金パーティーの裏金問題などで、安倍派・二階派のそれぞれの派閥事務所への強制捜査という異例の事態となっています。

憶測報道は過熱気味ですが、それによって二つの会派以外にも政治家個人や様々なところで疑心暗鬼や困惑と動揺が広がり、自民党はバタバタ状態に見える気がします。

岸田総理は、安倍派の党の役員や閣僚を更迭しましたが、二会派の閣僚らはそのままの為、それについても「どういう基準なのか?」などいろいろな憶測が飛び交う状態です。

二階派は二階元幹事長が先頭になり「知らぬ存ぜぬ」で強引に突破しそうな気がしますが、安倍派はトップだった「安倍氏」と「細田氏」が亡くなっており、まさかと思いますがこの二人の故人に罪を押し付けてしのごうなどと考えている輩も現れそうな気がしてなりません。

「ばつが悪い」という言葉の「ばつ」とは、本来は「場都合」の略語ですが、今回の場合は「閥が悪い」とあてはめたい気がしました。

ちなみに「〇閥」という熟語には

  1. 派閥(はばつ)
  2. 学閥(がくばつ)
  3. 軍閥(ぐんばつ)
  4. 財閥(ざいばつ)
  5. 閨閥(けいばつ)
  6. 門閥(もんばつ)
  7. 功閥(こうばつ)

などがありますが、
「閥」という漢字は7番の「功閥」以外は良くない集まりのイメージに使われている気がします。

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2023年11月23日

『勤労』と「労働」のイメージ

毎年11月23日のきょうは「勤労感謝の日」になっていますが、本来のこの日は、明治政府によって定められた宮中祭典の「新嘗祭(にいなめさい)」の日であり、天皇陛下が新穀の収穫を天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとした神々に感謝し、自らも新穀を食べる宮中の秋の収穫祭といったところだった日です。

ただ、明治以前は旧暦の「11月の2番目の卯(う)の日」=「中卯(なかう)」で、今年だと旧暦の11月23日=2024年1月4日になるようですから、かなり現在とは違った季節に感じますが私が幼いころの穫時期から行くと合っている時期です。

この催事が戦後に天皇陛下の宮中祭祀と国民の行事を切り離すために、昭和23(1948)年「国民の祝日に関する法律」によって「勤労感謝の日」という名称に改称され現在に至ります。

この日は、昭和23(1948)年に「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」ことを目的に定められました。

わたしはこの【勤労】という言葉が、戦時中の「勤労動員」などの強制就労的をイメージされ、どうしても心に引っかかるのです。

同じ意味の言葉に「労働」というのが在り、
辞書で引くと両者とも同じような意味になりますが、大きく違うのは辞書の1番目に出てくる解釈

  • 「勤労」➡心身を働かせ仕事に励むこと
  • 「労働」➡働いて賃金や報酬を得ること

上記のようになります。

あくまで個人的な感想ですが、名称には「労働」を使用し「労働感謝の日」または「労働権の日」などでもよいのではないか?と思うのです

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